2020年08月25日

100年前のパンデミック(前編)

100年前のパンデミック(前編)
「感染症対策を啓発せよ」

世界的な流行がいまだ衰えを見せない新型コロナウィルス感染症。
しかし、このような感染症が世界を怯えさせたのは、今回がはじめてではもちろんない。約100年前に日本でも猛威を振るった、いわゆる「スペイン風邪」もそのひとつ。当時の流行度合いや対策状況を見てみると、現在の状況となにやらかぶってみえるとことも多いようだ。
先の見通せない現在の状況を見つめなおすために、今一度、100年前の日本の様子を見ていくことにしよう。


「スペイン風邪」とは?
 世界中を席巻している新型コロナウィルス感染症。WHOが「パンデミックに相当する」と宣言したのが、本年3月11日のこと。以来5カ月以上を経過したものの、世界的にはまだ終息時期が見通せないというのが、実状だといえよう。

 ちなみに、この「パンデミック(世界的大流行)」という言葉が、日本中に浸透したのは、2009年前後でとされる。同年、ユーキャンの新語・流行語大賞に「新型インフルエンザ」とともにノミネートされている。しかし、実は100年前、いわゆる「スペイン風邪」が流行した時にも、すでに同様の言葉が使われていた。厳密にいうと、当時の用語は「パンデミー」であり、スペイン風邪の流行のことを「インフルエンザ・パンデミー」などと呼んでいた。
 このいわゆる「スペイン風邪」とは、A型インフルエンザウイルスの世界的な流行のことで、日本でも大正7年(1918年)から大正10年(1921年)にかけて、3回の流行を経験している。この間、2380万4673人の感染が確認され、38万8727人が命を落としたという(内務省統計)。大正10年の段階で日本の人口は5660万人強だから、全国民の4割以上が罹患した計算になる。

 この感染症は、現在でも通称「スペイン風邪」と称され、大正時代にも「スパニッシュ・インフルエンザ」などと呼ばれていたが、実は流行の発祥地がスペインというわけではない。当時のスペインの衛生当局も、「スペインで流行が起こる前にフランスやスイスで流行が起こっていた」と主張している。このあたりの状況は、発祥地をめぐりさまざまな説が飛び交っている現在の国際情勢を彷彿とさせる。

まさに「翔んで埼玉」
さて、流行を最小限に抑えるために、当時の日本政府が示したのが、

・民衆の集合を避けしむること
・呼吸保護器の使用を奨励
・患者はなるべく隔離


などの対策である。「呼吸保護器」とはマスクのことで、他も三蜜の回避など、基本的には現在とほぼ同じことが叫ばれていたと考えてよい。
 ただし、当時はラジオもテレビもない。ラジオ放送の開始は大正14年(1925年)、テレビ放送はむろん戦後で、昭和28年(1952年)のことである。

 そこで政府は、左に掲げるような「標語小札」やポスターを作成。また、各道府県が競うように、啓発活動を行っていった。(ちなみに、当時は『東京都』ではなく、『東京府』であったため、『都道府県』ではなく、『道府県』である。)

内務省の発行した冊子には、各県ごとの対応が細かに載っている。多くは「衛生講和会(講演会・説明会)の開催」「ポスター等の配布」「活動写真館(映画館)や劇場等での講和宣伝(啓発説明会)開催」などであるが、特徴的な活動として、大阪府が市営電鉄の全車両に予防心得カードを掲出したことや、兵庫県が啓発動画を作成したことなどが挙げられよう。

 その中で最も派手な宣伝を行ったのは、一見地味な印象もある埼玉県かもしれない。埼玉県は所沢市にある航空隊に委嘱して、空から予防心得書をばらまいたのだ。なぜこのようなことをしたかというと、「民衆を集合せしめ、衛生講和(説明会)等をなすは、かえって伝染の機会をつくる恐れがあるをおもんばかり、これを避けた」というのだ。なかなかの慧眼といえないだろうか。このように、各道府県が独自の対策を、競うように打ち出していったところも、現在の状況と似ているといってよいかもしれない。
次回は、100年前の「マスク狂騒曲」について述べていこう。

(参考文献・引用:大正11年発行『流行性感冒』内務省衛生局 ※カタカナをひらがなにするなど適宜読みやすく改めた。)
posted by 福田智弘 at 16:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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