2020年08月25日

100年前のパンデミック(後編)

100年前のパンデミック(後編)
「マスク狂騒曲」

 100年前の、いわゆる「スペイン風邪」流行の際に、当時の政府や自治体のとった対応を振り返り、現在の状況と比較検討してみようというのが本稿「100年前のパンデミック」である。
 2回目は「マスク」について見ていこう。なお、明治・大正期のマスクは「呼吸保護器」などと呼ばれ、金属部品を使った、今よりも本格的なものであったが、スペイン風邪の流行した頃から、現在のものに近いガーゼなどを使った簡便なマスクが使われはじめている。

呼吸保護器普及作戦発動!
 スペイン風邪の流行に際し、マスク着用を普及させるために、各道府県は、その成果を競うようにさまざまな対応をとっている。
・説明会の開催や啓発印刷物の配布などでマスクの有効性をアピール
・警察官や自治体職員が率先して着用することで普及・啓発を図る

といった手法が多くみられるほか、活動写真館(映画館)や劇場、公共交通機関の利用に際してマスク着用を促す指導を積極的に行ったところもある。千葉県などでは、マスク未着用者の入場や乗車を禁止するなどの措置をとったことにより、かなりマスクが普及していった、とのことである。香川県では、「マスクを使用せざる者は(興行の)観覧を謝絶せしめた」ところ、「興行主はいずれも自費をもって観客にマスクを提供」するようになったという。

不正商人を排除せよ
 しかしながら、マスクの着用が浸透していくと、次に起こるのがマスク不足とそれに便乗した値上げである。これに対する各道府県の施策は主にふたつ。ひとつは警察官による取り締まりである。暴利をむさぼる「不正商人」に対して道府県は警察署長を通じて厳しく取り締まりさせたと記されている。

 もうひとつが県の予算によるマスクの作成である。たとえば神奈川県では、「材料を調え、金具製作を工業高校へ、裁縫を市内8箇所の高等女学校に於いて分担し、学業に支障を来たさざる程度に於いてこれが製作方を委託し」たという。これにより1万1600個のマスクをつくり、1個5銭で販売したそうだ。それまでは、1個35銭から80銭と、かなりの高値で流通していたというから、安価なマスクの登場に「不正商人」もさぞや弱ったことだろう。

 同様のことは他県でも行われていて、埼玉県では浦和高等女学校(現・浦和第一女子高等学校)、群馬県では前橋高等女学校(現・前橋女子高等学校)、高崎高等女学校(現・高崎女子高等学校)の生徒に製作をお願いし、できたマスクを警察官や貧しい人々に配布したという。その他、石川県のように警察内部でマスクを製造したり、愛媛県のように松山監獄(現・松山刑務所)にて製造させたりといった例もある。一方、高知県のように「簡易マスク製作法を示したる簡単なる予防心得書十万部を印刷し各戸に配布」するなどのやり方で、家庭での手作りマスクの製作を奨励した道府県もある。

 なお、マスクのほかには「うがい」も積極的に奨励され、道府県の主導で「含嗽剤(うがい薬)」をつくり、各戸に実費で配ったり、学校や駅に備え付けさせたりもしている。

 ワクチンなどの予防接種に関してはまだ研究段階で、試行錯誤の状況にあったが、東京市は33カ所に、駐車場ならぬ予防注射場を、10カ所の夜間無料注射場を開設した。他県でも学校職員、生徒、警察官、医療従事者、および貧しい人々に対し無料接種を実施するなど積極的な対応をとったという。

 総じて、各地方自治体が中心となって知恵を絞り、啓発書やマスクの製造、配付を行うなど、かなり具体的な施策をとっていることが印象的だ。100年前の人々に負けないよう、令和の世を生きる私たちも、それぞれの立場で知恵を絞り、この難局を乗り越えていくよう努力していきたいものである。

(参考文献・引用:大正11年発行『流行性感冒』内務省衛生局 ※カタカナをひらがなにするなど適宜読みやすく改めた。)
posted by 福田智弘 at 16:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100年前のパンデミック(前編)

100年前のパンデミック(前編)
「感染症対策を啓発せよ」

世界的な流行がいまだ衰えを見せない新型コロナウィルス感染症。
しかし、このような感染症が世界を怯えさせたのは、今回がはじめてではもちろんない。約100年前に日本でも猛威を振るった、いわゆる「スペイン風邪」もそのひとつ。当時の流行度合いや対策状況を見てみると、現在の状況となにやらかぶってみえるとことも多いようだ。
先の見通せない現在の状況を見つめなおすために、今一度、100年前の日本の様子を見ていくことにしよう。


「スペイン風邪」とは?
 世界中を席巻している新型コロナウィルス感染症。WHOが「パンデミックに相当する」と宣言したのが、本年3月11日のこと。以来5カ月以上を経過したものの、世界的にはまだ終息時期が見通せないというのが、実状だといえよう。

 ちなみに、この「パンデミック(世界的大流行)」という言葉が、日本中に浸透したのは、2009年前後でとされる。同年、ユーキャンの新語・流行語大賞に「新型インフルエンザ」とともにノミネートされている。しかし、実は100年前、いわゆる「スペイン風邪」が流行した時にも、すでに同様の言葉が使われていた。厳密にいうと、当時の用語は「パンデミー」であり、スペイン風邪の流行のことを「インフルエンザ・パンデミー」などと呼んでいた。
 このいわゆる「スペイン風邪」とは、A型インフルエンザウイルスの世界的な流行のことで、日本でも大正7年(1918年)から大正10年(1921年)にかけて、3回の流行を経験している。この間、2380万4673人の感染が確認され、38万8727人が命を落としたという(内務省統計)。大正10年の段階で日本の人口は5660万人強だから、全国民の4割以上が罹患した計算になる。

 この感染症は、現在でも通称「スペイン風邪」と称され、大正時代にも「スパニッシュ・インフルエンザ」などと呼ばれていたが、実は流行の発祥地がスペインというわけではない。当時のスペインの衛生当局も、「スペインで流行が起こる前にフランスやスイスで流行が起こっていた」と主張している。このあたりの状況は、発祥地をめぐりさまざまな説が飛び交っている現在の国際情勢を彷彿とさせる。

まさに「翔んで埼玉」
さて、流行を最小限に抑えるために、当時の日本政府が示したのが、

・民衆の集合を避けしむること
・呼吸保護器の使用を奨励
・患者はなるべく隔離


などの対策である。「呼吸保護器」とはマスクのことで、他も三蜜の回避など、基本的には現在とほぼ同じことが叫ばれていたと考えてよい。
 ただし、当時はラジオもテレビもない。ラジオ放送の開始は大正14年(1925年)、テレビ放送はむろん戦後で、昭和28年(1952年)のことである。

 そこで政府は、左に掲げるような「標語小札」やポスターを作成。また、各道府県が競うように、啓発活動を行っていった。(ちなみに、当時は『東京都』ではなく、『東京府』であったため、『都道府県』ではなく、『道府県』である。)

内務省の発行した冊子には、各県ごとの対応が細かに載っている。多くは「衛生講和会(講演会・説明会)の開催」「ポスター等の配布」「活動写真館(映画館)や劇場等での講和宣伝(啓発説明会)開催」などであるが、特徴的な活動として、大阪府が市営電鉄の全車両に予防心得カードを掲出したことや、兵庫県が啓発動画を作成したことなどが挙げられよう。

 その中で最も派手な宣伝を行ったのは、一見地味な印象もある埼玉県かもしれない。埼玉県は所沢市にある航空隊に委嘱して、空から予防心得書をばらまいたのだ。なぜこのようなことをしたかというと、「民衆を集合せしめ、衛生講和(説明会)等をなすは、かえって伝染の機会をつくる恐れがあるをおもんばかり、これを避けた」というのだ。なかなかの慧眼といえないだろうか。このように、各道府県が独自の対策を、競うように打ち出していったところも、現在の状況と似ているといってよいかもしれない。
次回は、100年前の「マスク狂騒曲」について述べていこう。

(参考文献・引用:大正11年発行『流行性感冒』内務省衛生局 ※カタカナをひらがなにするなど適宜読みやすく改めた。)
posted by 福田智弘 at 16:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする